No.7
京の今日は快晴[E:sun]
桜だよりが彼方此方から…[E:ear]
気がつけばもう春、三月も終わりですね
久しぶりの更新です、一か月のご無沙汰でした
今日は
兄の最後をここに残しておこうと思います
良かったらお付き合いください…
1月26日の救急搬送から23日間
兄の戦いは 2月17日 2時14分終結
戦いの地は京都市立病院
丁寧に納得いくまで説明していただいたICUのDr.達
親身に話を聞いてくれはったICUの看護師長さん
暖かい手を差し伸べてくれはった看護師さん達
「この病院で良かった! 」 って思いました
心のこもった治療・看護に頭の下がる思いの23日間でした
実は、二年前の24年4月
私の家に近い[E:hospital]に救急搬送された兄は
脳動脈瘤破裂 で 8時間にわたる手術を受け
その後も
再発予防の為、医師から再手術を勧められてました
定期的に病院に通ってたのに…
その時はわからなかった今回の病魔
兄は食道ガン…末期でした
自覚症状があってからでは、時既に遅し・・・です
京都市立病院のICUに運ばれた時
延命治療についての話がありました
父が亡くなる前も、昨年の母の入院時にも
延命治療をきっぱり断っていた兄だったので
私も 「兄は望んで無いと思います…」 と Dr.に伝えました
でも、その翌日
「人工呼吸器を付けたら助かるかも…どうされますか ?」
と電話があり
付けたら助かるかも… 付けなかったら…
兄の意思には反するけど
延命ではなく救命の為に人工呼吸器を付けてもらいました
その他、血圧を上げるお薬や
癌が肝臓にも飛んでたので人工透析等
出来る限り手を尽くしていただきました
ある日、私は喋れない兄に問いかけました
「しんどいかぁ?」 と聞くと兄は小さく小さく頷き
「もうちょっと頑張れるかぁ ? 」 これには小さく小さく横に…
「頑張れへんの ? もう楽になりたいかぁ ?」
今度は小さく小さく頷いたんです
「わかったしぃ~、わかったよ~、先生にそう言うわなぁ~」
私は泣きながら兄に言いました
しっかり見てないとわからないくらいの動きやったけど
私には、縦…横…縦…兄の気持ちが見えました
涙か溢れて止まりませんでした
頼りにしてたのに…
こんな事になるなんて… 早すぎやし…
そしてまたある時は
「もう帰ろかな~ 帰るわ ! 帰っていい ? 」
そう聞くと
人工呼吸器の管を噛むように口を動かしたんです
「帰れ ! ってかぁ~ ? 」 そう聞くと小さく頷きました
「はいはい、そしたら帰りますぅ~ また明日来るわな~」
そんなやり取りも
入院して17日目の気管切開後は出来なくなりました
口からの人工呼吸器の挿入は
チューブの痛みや感染症のリスクが増えるので
普通は二週間で気管切開に切り替えるそうです
助かる見込みがないのに
体に穴をあける手術して、兄に痛い思いをさせるのも…と
最初はお断りしようと思いました
けど、口からのチューブも辛いやろな…
麻酔もしてくれはるし手術の痛みもないやろし…
そう思い直して、 気管切開をお願いしました
しかし、その後は痛みを和らげるための薬が増え
ほとんど眠ってばかり…
問いかけに頷くこともなくなりました
何が良くて何が悪いか
全て良かれと思って決断したけど
良い方向には進みませんでした
私が悩んてた時
「辛いでしょうけど、お兄さんの日頃の言動を思い出して
妹さんが決められたらいいんですよ
どんな決断をしても、それを誰も責めることはないし
お兄さんの事を考えて決めてあげて下さい」
看護師○さんの言葉に勇気をいただき
延命につながる治療をお断りすることにしました
2月14日(金)、ICUから個室に移ることになりました
Dr.から
「個室なら何時間いてもらってもいいですし
ご親戚の方たちにも来てもらえますから…」
窓から京の山々が見える部屋…
ここが兄の最後の場所…
そう覚悟した私にDr.が
「今夜が危ないです…この週末までかと…」
「エッ、 そんなに早く ? 」
その夜から兄の側で二晩泊りました
一晩目の金曜日はしょっちゅう機械の警告音が鳴りました
ウトウトする間も無いくらい…
でも
土曜も日曜も薬のお陰で苦しむ様子も無く落ち着き
看護師さんに聞いたら 「横ばい状態です」 との事
もうちょっと頑張ってくれるかな~
日曜の夜、真ん円お月さんを見ながら、一旦家に帰りました
やっぱり私はチョイ甘です…
2時14分、兄の命の灯が消えました
最後を看取ることができませんでした…兄ちゃんゴメン…
家族で病室に駆け付け思いっきり泣きました
兄は穏やかな顔で眠ってました
髭が気になると、夫が電気カミソリで剃ってくれました
私は涙を拭きふき、葬儀社に連絡を取りました
お迎えの車がきて兄が運ばれて行きます
地下の駐車場まで
担当のDr.と当直の看護師さんが見送ってくれはりました
冷たい冷たい風が地上から降りてきて震えるくらい寒く
「寒いのにすみません」
半袖の看護師さんに申し訳なくて…
最後の最後までホントに良くしていただき
感謝の気持ちが涙と共に溢れました
悲しい別れの後は葬儀の準備
葬儀屋さんに言われるがまま
色んな事を決めていかなければなりません
初めての喪主
何が何だかバタバタと時が過ぎていきました
告別式の日は、ちょこっとお日様[E:sun] そして曇り空[E:cloud]
火葬場に着いたら雪が舞ってきました
兄ちゃん、最後の雪 見えたかぁ~
そして
小さな箱に収まった兄を自宅に連れてかえりました
無人の実家に置くのは可哀想やと夫が言ってくれました
夫の言葉は嬉しかったです
兄は私の部屋にいます 四月五日の四十九日まで…
葬儀を終えた後は、兄の部屋の片づけが待ってました
土日の休みは毎週兄のマンションに行きました
パソコン四台
マウンテンバイクとロードバイク
LPレコード
ギターが二台
その他、仕事関係の物…
兄の生きた証しを処分しなければなりません
ロードバイクとパソコン一台を兄の友達に…
マウンテンバイクとパソコン一台を従弟に…
LPレコードは中古レコード屋さんに売りに行きました
エレベーターの無い ビルの三階
狭い通路を残して
所狭しと段ボール箱にレコードが入れられ
その狭い通路で店主が選別
150枚以上あったかな~、ほとんどジャズでした
全部で15,000円
ポケットからお金を出した手が何故か震えてはりました
ん ? この中にお宝でもあったん違うのん ?
そんな事思ってしまいました [E:bleah]
生きた証しを消していくのは辛い作業でした
23日、部屋を明け渡しちょっとホッとした反面
何故か寂しい思いでマンションを後にしました…
春を待つことなく逝ってしまった兄は
今週の土曜日、ご先祖様の仲間入りをします
桜満開、桜の花びらがヒラヒラ舞い落ちる頃でしょうか…
実は、兄の事、母には言わずに今日まできました
85歳の母には耐えがたい事実やから
叔父や叔母にも相談してそう決めました
私は毎週ドキドキしながら母に会いに行き
兄の事を聞かれないとホッとして帰ります
もし聞かれても
「仕事で東京に行ってる」 とでも言おうかと…
母には元気でいて欲しいから…
明日から四月ですね
私も心機一転、またいつものチョイ甘に戻ろうと思います
みなさん、またお付き合いくださいね